22才の時にイギリスを経ち、バックパックひとつで世界を旅して日本にたどり着いた父ですが、最終目的は日本ではなくオーストラリアでした。長い話を短くすると日本人女性と恋に落ち、世界旅行は中断となってしまったのです。あれから50年近くになりますが、旅は中断したまま、未だにオーストラリアにはたどり着かずに今は与論島で暮らしています。
父が与論の家の屋根の上から撮った写真です。もういい加減に屋根に登るのはやめて欲しい、と言っても聞いてくれません。ここから海の向こうにあるオーストラリアのことでも考えているのかしら?
父は手がとても器用でDIY はもちろん(屋根の修理も含めて)、絵もとても上手。バックパッカー時代は自分で描いた絵を売りながら旅をしていたぐらいです。
そして字がとてもきれい。字がきれいなのはブラッキン家の遺伝も関係しているようです。イギリスの祖父はまるでモーツァルトの音楽が後ろから聞こえてきそうな美しい字を書いていました。
しかし、出発前に奥さんが重い病気にかかってしまい、アメリカ行きが中止になってしまいました。
もうお分かりかもしれませんが、購入したチケットの船の名は「タイタニック」。先日、沈没から100周年を迎えましたね。
もしあの時にタイタニックに乗っていて助かったとしたら、誰でも知っているあの大手自動車会社の有名なロゴマークは全然違うものであったかもしれません。
でもタイタニックのあの状況でしたからきっと助かった可能性は低かったのに違いありません。
父の大叔父はその後、タイタニックの沈没のことを知ってどのような気持ちだったのでしょう。新聞を見て、胸に手を当てながら呆然と「オー・マイ・ゴッド...」と呟いている姿が思い浮かびました。
面白い話だったので何か証拠になるものが無いか調べてみたのですが、船の予約をキャンセルしていたからか乗客リストには彼の名はもちろん見つかりませんでした。そこで、自動車会社のロゴの歴史をちょっと調べてみたところ、確かに1912年、タイタニックが沈没した年にロゴが新しくデザインされていたのでびっくり! 父の大叔父の渡米の突然のキャンセルで違う人に頼んだんだ... と私の勝手な推理です。
面白い話だったので何か証拠になるものが無いか調べてみたのですが、船の予約をキャンセルしていたからか乗客リストには彼の名はもちろん見つかりませんでした。そこで、自動車会社のロゴの歴史をちょっと調べてみたところ、確かに1912年、タイタニックが沈没した年にロゴが新しくデザインされていたのでびっくり! 父の大叔父の渡米の突然のキャンセルで違う人に頼んだんだ... と私の勝手な推理です。
普段とはちょっと違うお話でしたが、先日父から聞いた時に「へ〜!」と思ったのでこのストーリーを皆さんとシェアしたいと思いました。
運命とは不思議なものですね。